りぃろぐ

ブログのテイスト変えました。本が好きなので本の話を中心に、何でもかんでも好きなことを書いていきます。とにかく好きなことをして生きていくのだ!

鬼退治論争

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昨日のキツネに引き続き、今度は鬼退治です。

まず鬼とは?


節分にしても鬼は出ていけと鬼退治しますよね。
我々も毎年鬼退治をしているわけです。
桃太郎や一寸法師だけが鬼退治をしているわけではありません。


じゃあ、鬼って何ですか?と。
目に見えない鬼に外に出て行けという節分って何なんだってなりますよね。
昔話の鬼は、たいてい島のお城に身を潜めて、金銀財宝を隠し持って酒ばっかり飲んでるイメージ。


これが示唆しているもの。
そう、悪代官だと思うんです。


庶民から金を巻き上げ、自分は裕福な暮らしをしている。
そんな悪者をやっつけようと若者が立ち上がる。
といったことなのかな?って。


じゃあ節分の鬼って何だよ。
これは、自分の中にある悪、人に憑いている悪、出て行ってください。
ってなことかなと思います。


そうなると、総じて鬼=人間の増悪って感じですよね。
悪代官にしても、もともとはそんな人じゃなかったかもしれないのに金と権力におぼれて鬼になってしまった。
一般庶民でも、心が荒んでいたら自分も他人も大事にできなくなってしまう。
イコール鬼になってしまう。


ということは、誰しもが鬼になってしまう可能性が十分にあるということ。


いつまで続くの鬼退治


誰もが鬼になってしまう可能性があるといいましたが、それって桃太郎にも一寸法師にも可能性があるってこと。
桃太郎は、鬼退治のあと金銀財宝は村のみんなに返して幸せに暮らしましたが、そうじゃなかったとき。
もしも目の前に山のような金銀財宝が現れ、目がくらんでしまったとき。
自分一人のものにしようと思ってしまったら。


自分が管理するという名目で、金銀財宝を独り占めしてしまったら、それを見た若者が鬼退治に来るわけです。
なぜなら、鬼退治をした桃太郎を鬼と思っちゃうから。


そうなってくると、いつまで鬼退治続くんだと思うわけです。
もしかして、一寸法師が倒している鬼って、桃太郎の後の姿だったのかもしれない。
(実際には、桃太郎の話は財宝を返しているので続くわけがないので、もしもの話だけど)


仮定の話だけど、負の連鎖的なことって止められないものなのだろうか。
歴史は繰り返すとはよく言ったもんで、国や地域の流れも堂々めぐり同じところをぐるぐる回ってる気がする。


鬼にならないために


人から鬼と思われているのではないかと思い始める人もいるかもしれないが、それは周りを見たらわかる。
鬼キャラ(今後鬼的要素の強い人を鬼キャラと呼ぼうと思うw)の周りには人がいない。
正確には、本当に仲良くしてくれる人がいない。
うわべだけの人間関係しか構築されないようだというのが私の見解。


だから、親友がいて信頼できる人が一人でも周りにいたら鬼ではないのではないかと思います。
少なくともその人の前ではね。


本当に人を好きになったことがない人は潜在的に鬼要素があるのかもしれない。
恋愛的にではなくね、友達関係や尊敬できる師匠的なひととかね。
なんでも良いんだけど、心から信用できるものがお金とかモノではなくて人というところ。


だから人から好きになってもらえる人や大事にされる人になりたい。
そして、自分も人を好きになったり大事にしたい。


以上、鬼退治論争でした。
結構こんなこと考えるの楽しいなw



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